最後の砦
ビリビリ・・・
紙を破る音がする。
まだだ、まだ足りない。
もっと破らなければ。
こちらに手札が足りないのは戦う前、こうなる前からわかっていたはずだ。
でも負ける訳にはいかない。
だから私は手札をちぎり、突破口を探る。
同じ事を言い方をかえ、何度も言う。
言葉を重ねるたびに本当に伝えたい事から離れていくことも知りながら。
相手から飛んでくるのは罵詈雑言。
気心知れた仲だからその一撃一撃は私の心を深くえぐり、涙があふれた。
それでも私は止めなかった。
ここで止めてしまったら相手は、私の大切な人は死を選んでしまう。
それだけは避けなくてはいけなかった。
「こんな所で死んではいけない。貴方を大切に想う人が悲しんでも良いのか?」
「私を想う人?誰それ?私が死んでも何も変わったりしない。それは貴方が一番よく知ってるでしょう?人の死なんてどこにでも転がってる。その石ころの一つになるだけじゃない」
「うっ…」
くそっ、手札が足りない。
破っても元の数が変わる訳じゃない。
手数が変わる訳じゃない。
わかってる、わかってる。
でも、彼女が死んだら…
「親は?友達は?…いや、ここにいない他人なんてどうでもいい。私は貴方に生きて欲しい。」
「生きてどうなるの?何か良いことがあるの?」
また言葉に詰まる。
彼女が欲しがっているのは「きっと」とか「多分」とかじゃない。
そんな不確かな言葉じゃ彼女の絶望は拭い去れない。
「答えられないじゃない。貴方じゃ誰も助けることなんて出来ないのよ。私さえも助けられない貴方じゃね」
握られたカミソリが傷口に食い込み、血があふれ出した。
助けられないのか?
それならもう目をつむってしまえば良いんじゃないのか?
もう傷つきたくない、もう苦しみたくない。
『諦めないって大事だよ』
友人の声が聞こえた。
そうだ、諦めないって決めた。
どんなに見苦しくても後悔しないように。
すぐ諦めないって決めたじゃないか。
「良いことは無いかも知れない。でも、ここで諦めたら全部終わっちゃう。貴方の大好きなあの人の笑顔も声もこれから出来るはずだった思い出も全部消えちゃう。それで良いのか?好きなんだろう。もう会えなくなるんだよ」
「あっ…」
「ねっ。会いたくない?世界中の人が敵になっても私は貴方の味方だから。力はないかも知れないけど、隣で慰めることしか今は出来ないけど、強くなろう?自分の大切な人が守れるように、その人の力になれるように」
「でも…幸せになれるの?それで幸せに…」
「本当は頷ければ良いんだけど、私にはわからない。でも今より良くなるとは思うよ。そう信じてる」
彼女の手からカミソリが落ちた。
そして涙でびしょびしょの顔で彼女が言った。
「貴方がそう言うなら少しだけ信じてみる」
私は自分の腕に付いた深い傷を見た。
彼女が死んだら私も死んでしまう。
私達は一心同体。
心は別々でも体は一つ。
「いってー」
麻痺していた脳が正常に動き出し顔をしかめるほどの痛みを私に伝える。
思ったより深い。
死ぬことはなくても病院に行かなくては綺麗には治らないだろう。
それだけ危なかったと言うことか。
彼女は誰にも言わず、1人で悩んで、1人で絶望して、1人で死ぬと決めた。
私が気が付いた時にはもうカミソリで手首を切り始めた後だった。
「今度は切る前に言ってくれ」
この痛みは彼女を1人にした自分への罰か。
そう自嘲気味に笑って私は電話を手に取った。