2重のフレーム
本から顔を上げて、手元が薄暗くなっていることに気がつく。
暖かくなり、草木も芽吹きを見せ始めたとは言え、まだ、日も傾いてくれば、日陰になる私の机は夕暮れも早くやっ
てくる。
少し肌寒いなと感じて、ストーブをつけてから、ひざ掛けを取りに行って部屋に戻る。
先程まで冷めていた珈琲の香りを感じながら、ふと窓の外を見ると、そこは桜吹雪だった。
いや、正確には桜の季節などまだ早い。しかし、少しだけ夕方の準備をし始めた青空に、舞っているものがある。
粉雪だと気がついたのは、風が止んで桜吹雪が雪虫に変わってからだった。
「晴れているのに雪なんて、まるで幻のよう」
ひざ掛けを持って、窓の外を見たままつぶやくように言った言葉に返事はない。
返ってくるのは、寝息だけ。
仕事で疲れている貴方は、「寝たら?」と言う私に寝落ちるその瞬間まで、『寝ない』と意地を張っていたけれど、
私の呟きにも起きる様子はない。
もちろん私も起こすつもりなどなく、たまに、あなたの方を見ながら本に目を落としていたのだけれど、この風景を
一緒に見られないのは少しだけ残念に思った。
机の上に置かれた携帯のカメラで撮ることも考えたけれど、きっと、これは幻。
春の夢。
だから、そっと、ひざ掛けを貴方にかけてから、指でフレームを作って心のシャッターを押した。
窓と指で二重フレームになった幻の桜吹雪と、かすかに香る珈琲の香りと、貴方の寝息と。
それらは全部夢かもしれない。
それでも。
それなら。
少しでも、心で覚えておけるように。
覚えていられなくても、ふとしたキッカケ。
そう、例えば、珈琲の香りや貴方の寝息、本物の桜吹雪なんかで思い出せるように。
そう思いながら、もう一枚だけ心のシャッターを押してから、先程まで読んでいた『本』、桜の写真集を開き直した。
本当の春、そう、桜が咲いたら一緒に見に行って、ふと、思い出したようにあなたに言ってもいいかもしれない。
「この間、貴方が私の部屋に来た時、幻の春を見たの」
なんて。
貴方はどんな顔をするかしら。
そんな事を思ったら自然と笑みがこぼれた。
本当の春まではもう少し。