避難場所
涙が流れる。
悲しいのは僕じゃない。
悲しいのは僕じゃない誰か。
そばにいるのに
そばにいるはずなのに
届かない言葉。そしてすれ違う心。
それが悲しくて彼女は泣いている。
彼の言葉で彼女は傷つき
彼女の言葉で彼は不快を露わにする。
お互いに傷つけたくなどないのに、不器用な言葉が、真意を隠してしまう。
「私の言葉で彼が傷つくなら言葉などいらない」
彼女は僕の前でそう言って涙を流す。
「でもしゃべらなければ彼のそばにはいられないよ」
僕がどうするの?と尋ねると彼女は涙に濡れた声で言う。
「なら、私は人形で良い。感情も意志もいらない」
「どうして?」
「それなら、彼を悲しませずに隣にいられるから」
違うと思う。
彼が好きなのは彼女の容姿じゃない。
彼が好きなのはきっと彼女の心。
「そばにいたい。でも…」
「でも?」
「そばにいる時の私はいつもどこかビクビクしてるの」
僕は無言で彼女の言葉に耳を傾ける
「これを言ったら怒るんじゃないか、これは言っても大丈夫かって考えちゃうの」
「それは嫌なの?」
「わからない。自分がどうしたいのか、どうしたらいいのか。ただ…もう嫌だ」
「何が?」
「全部。苦しいのも、悲しいのも、誰かに嫌な思いをさせるのも怒られるのも・・・何もかも全部嫌」
「変わろうか?」
しばらくの沈黙の後、僕は言った。
僕と彼女は元々一つ。同じ肉体にある違う人格。変わるなんて訳ない。
「でも…」
とまどいをみせる彼女に僕は続ける。
「きっと誰もわからないよ。親も、友達も、彼も。前だってそうだったろ」
「うん」
僕の存在を誰も知らない。彼女以外は。誰も気がつかない。
少しの変化を見取るほど、誰も僕たちに興味を示していないから。
「でも…もう少し頑張る」
「大丈夫?」
「うん。聞いてもらったら少し楽になったから」
赤い眼で彼女は笑った。
「またしんどくなったらおいで」
「うん。ありがと」
彼女はそういって帰っていった。
一人残された部屋で僕は静かに泣いていた。
でも僕の頬を流れる涙は僕のものじゃない。
彼女の心が僕に流れてきたせい。
彼女の身代わりの僕に悲しいなんて、彼女の人形である僕に自分の心なんてある訳ないんだ。
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